交換留学への道
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Cronulla Race Riot (2005)
Source: Flickr (Image originally posted by Mr. Warren Hudson)

中東系移民がシドニー南部のクロヌラビーチで白人ライフガードに暴力を振るったことを引き金に、これまで白人層が移民に抱いていた不満がぶちまけられ白人対移民の暴動に発展した。


We Grew Here, You Flew Here
(僕たちはここで育った、
お前らはここに流れてきた )



Manly Racist Violence
on Australia Day (2009)
Source: The Daily Telegraph

Australia Dayという西欧人の入植記念日にシドニー北部のマンリービーチで起こった暴動。愛国心が高揚しやすいイベントに、アルコールが重なって一部が暴徒化した。中東系だけでなく、アジア系やインド系もターゲットにされた。

白人側からすると、黙々と塾通いするアジア系移民に医学部の枠をどんどん奪われ、低賃金で長時間働く移民のおかげで労働環境は悪化する一途でと、豪州独自のユルユル文化を壊されているという不満がある。

移民側は、どんなに頑張っても白人にスポーツでは勝てないし、学校ではモテないし、クラブでは入店を断られるしで、この国で成功する唯一の方法は、猛勉強、猛労働することだと悟るのである。そして頑張れば頑張るほど、白人社会からのウケは悪くなるという悪循環。

恐ろしいのは、一連の反移民運動に参加しているのが、スキンヘッドの極右団体ではなく、普通の若者という点だ。Australia Dayというのは、要は白人が豪州に入植した記念日である。ある意味、アボリジニから白人が土地を奪ったという記念日に、豪州における非白人移民の増加に反発する白人が暴動を起こしたのは、いかにも皮肉である。


 

医者に見えないMarco登場・移民問題

オーストラリアにはMateship(メイトシップ)と呼ばれる奇妙な連帯感がある。誰にでも「G'day mate!」とか言って話しかけては、5秒でお友達になってしまうというものだ。

僕がメイトシップのすごさを実感したのは、ある授業の第2週目だった。授業の最後に、教授が宿題を出した。その瞬間、クラス中の見ず知らずの白人学生達が「よろしくー!」みたいな感じで握手と連絡先を交わし始めたのだから(僕もどさくさに紛れて連絡先を交換したんだけど。。。)。こうして連絡先を交換した後、僕は知り合いになったオージーの一人であるMarcoと一緒に帰路についた。歩きながら聞いてびっくりしたのだが、実は彼はお医者さんとのこと。数時間前まで病院で「先生」と呼ばれていた彼が、僕にもフレンドリーに接してくれるのがメイトシップなのである。

一方このクラスには、メイトシップの輪に入れないでいる「先生」があと二人居る。端の方に密集しているアジア系の彼らは、ページャー(ポケベルのこと)片手に医者であるのは一目瞭然。こうして、人種ごとにクラスが分裂するのもまた、万国共通。 そして白人との融和は諦めたと言わんばかりのその姿から、医者という自営業的職業の選択は、白人文化の根付いた会社では活躍しづらいと悟ったゆえと私の目には映る。マイノリティーの疎外感が医者という職業を選び、プライドを高め、結果的に孤立が加速する悪循環。

教員側も微妙な雰囲気を悟ってか、はたまた経験則か、グループ分けは同じ人種を固めるのが基本らしい。Marco中心の社会人白人、インド人全員、中華系全員、私が紛れ込んだ爽やかJim中心の現地学生の4グループに見事に「色」分けされた。因みに私に関しては、爽やかJimにくっ付いて現地学生に溶け込もうとする細やかなアピールが教員に伝わったようで、Jimと才女のAnneの現地学生グループに配属されたのだった。

そもそもeasy goingな典型的白人のJim達と、プライド高き「先生」、そして微分方程式すら解けずに悩む一部留学生は反りが合わないのは明白だ。教員の判断も人種差別ではなく、最もトラブルが少なくなるようにグルーピングした結果だろう。このクラスは、この国で爆発的に増え続けるアジア系と、残りの白人との融和が一向に進まない社会の縮図だ。移民を受け入れることは簡単だが、その移民をどう社会に溶け込ませるかが難題なのだ。

白豪主義の再燃と批判されることを恐れているから、オーストラリア人は誰もが「オーストラリアは多民族国家だ」ってなスローガンを口にすることを好む。だからオーストラリアがアジア系移民達を受け入れ始めた当初は、政治家も、教師も、誰もが異口同音に「真の多民族国家へ」とか言って大絶賛したものだった。ところがいざ自分たちの周りに移民が増えてくると、移民排斥を掲げる政党One Nationが台頭しはじめ、シドニー南部のCronullaで移民対白人の暴動事件が起き、人種ごと通う学校が別れていったのである*。結局、口先では教科書的な綺麗ごとを唱えるくせに、心から移民と友人になりたいなんて思っている人は少数派に過ぎないのだ。それでも表向きオーストラリア人のほぼ全員が「多民族国家」に賛成する姿勢を崩さないのは、「欧米以外から移民を受け入れたのは失敗だ」なんて口が裂けても言えない雰囲気になっているからであって、本音では移民政策に反対している人は多いのである。

オーストラリアの移民政策は、「なーんとなく色々な人種を寄せ集めてみましたぁ!」というレベルで終わっており、多人種・多宗教国家をどうまとめ、それをどう国の強さに結びつけるかまで考え抜かれていない。オーストラリアにとって、アジアからの移民の受け入れは、白豪主義の歴史との決別という特別な意味があった。オーストラリアの近代移民政策は白人以外を受け入れるという絶対条件の下に制度設計されており、それゆえ異人種を受け入れた後にどう社会と同化させるかという肝心な問題にはあえて触れてこなかった背景がある。

尤も、オーストラリア政府に言わせれば、同化(assimilation)させるのではなく、違いを認め合う社会を目指すらしい。そう言えば聞こえは良いが、「違いを認める」という美名のもとに、社会の融合という肝心な問題から逃げているように私の目には映る。クラスが人種ごとに完全に分裂しているような社会が、新たな連帯や強さを生みだすわけがない。国の強さを生むのは企業であり、企業は組織である。ランチに行く時も人種ごとにバラバラな組織では、チームワークなんて生まれない。もちろん、オーストラリアが異人種を受け入れ始めたのはつい最近のことであり、これから移民二世、三世がゆっくり社会と一体化していく可能性はある。その点で割り引いてみるべきだが、現時点では、異人種が手を取り合って新たな価値を生んでいくような道筋は見えてこない。

 

* :英語では、移民が多い居住区や学校を白人が避ける傾向をwhite flightと呼ぶ。実際、移民が多いことで有名なSydney西部の公立学校には既に白人はほとんど居ない(Sydney Morning Herald参考記事)。因みに、米国でも同様の現象が起きている(Wall Street Journal参考記事)。